ジュエリー作家 伊織理人の工房 陽光のデザイナーと影の職人 ⑤
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- 4月3日
- 読了時間: 3分

陽光と影の化学反応
リナはぎこちない手つきで、小さな小鳥のペンダントを磨き始めた。
普段、デザイン画を描くことや指示を出すことには慣れているが、自分の手で直接金属を磨くという作業は、ほとんど経験がなかった。
「…もっと、力を抜いて。金属の声を聞くように」
隣で見ていた理人が、静かにアドバイスを送る。
「金属の声…? 何よそれ、ポエム?」
リナは馬鹿にしたように言い返すが、言われた通りに少し力を抜き、クロスの動きに集中してみる。
シャリ、シャリ…と微かな音を立てて、シルバーの表面が滑らかになっていく。
指先に伝わる金属の冷たさと、摩擦による微かな熱。集中するうちに、不思議と心が落ち着いてくるのを感じた。
(…悪くない…かも)
トレンドも、評価も、締め切りも、今は関係ない。
ただ目の前の小さな金属と向き合う時間。それは、リナが長い間忘れていた感覚だった。
理人は、時折、磨く角度や力加減について的確な指示を与えるだけで、余計なことは言わない。その距離感が、今のリナには心地よかった。
しばらくして、ペンダントは見違えるように輝きを取り戻した。
翼の欠けた部分も、理人が事前に丁寧に修復しており、どこが壊れていたのか分からないほど綺麗になっている。
「…できたわ」
リナは、少し誇らしげな気持ちで、完成したペンダントを理人に差し出した。
理人はそれを受け取り、ルーペで確認した後、小さく頷いた。
「…いい仕上がりです。優しい輝きになった」
その言葉には、初めて、ほんの少しだけ温かさが含まれているようにリナには感じられた。
「べ、別に…これくらい、当然よ!」
リナは照れ隠しにそっぽを向いたが、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
自分が手を加えたことで、このペンダントに込められた「祈り」が、より強く輝き出したような気がしたのだ。
「ありがとう。助かりました」
理人はペンダントを丁寧にケースにしまいながら言った。
「…別に。お礼なんていいわよ」
気まずい沈黙。リナは、もうここにいる理由はないはずなのに、なぜかすぐには立ち去れなかった。
「…あのさ」リナが口を開く。
「あなたの作るものって…なんであんなに、静かなのに、強いの?」
それは、ずっと聞きたかったことだった。
理人は少し考えるように視線を宙に彷徨わせた後、静かに答えた。
「…ジュエリーは、言葉にならない想いを伝えるものだと思うから。派手な言葉よりも、静かな祈りの方が、深く、強く届くこともある」
彼は、自分の指先を見つめながら続けた。
「俺は、ただ、その声を聞いて、形にするだけです。持ち主の記憶や、これから生まれるであろう未来の記憶に、そっと寄り添えるように」
その言葉は、すとんとリナの心に落ちた。
自分が追い求めていた「新しさ」や「評価」とは違う、もっと根源的なジュエリーの価値。それを、この影のような男は静かに体現しているのだ。
「…ふん。まあ、一理あるかもしれないわね」
リナは素直に認められず、わざとぶっきらぼうに言った。
だが、心の中では、凝り固まっていた何かが少しずつ溶け始めているのを感じていた。
「じゃあ、私、もう行くから!」
リナは踵を返し、今度は少しだけ軽い足取りで工房を出た。
ドアが閉まる直前、理人の「またどうぞ」という静かな声が聞こえた気がした。
工房の外に出ると、西日が眩しかった。
空虚感は、まだ完全には消えていない。
しかし、リナの胸の中には、小さなペンダントを磨いた時の温かい感触と、理人の言葉が確かに残っていた。
(…また、来てしまうかもしれないわね…あの工房に)
リナは小さくため息をつき、空を見上げた。
陽光のデザイナーと影の職人。
全く異なる二つの光が交差したことで、何かが変わり始めていた。それは、リナ自身のデザインにも、そして二人の関係にも、新たな展開をもたらす予感を秘めていた。
(第二話 完結)
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