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【小説】ジュエリー作家 伊織理人の工房


幸せを運ぶ六ペンスと、紅い嵐

伊織理人に不穏な来訪者ーー?
伊織理人に不穏な来訪者ーー?

M県M市の路地裏。朝霧が立ち込める中、ジュエリー工房『J&M』には、心地よい一定のリズムを刻む槌音が響いていた。


主の伊織理人(いおり りひと)は、作業机のランプの下で、一枚の小さな硬貨を見つめていた。


「……理人。あんた、またそんな『価値のない金属』に時間をかけてるの?」


静寂を粉砕するように、真っ赤なコートを翻して現れたのは、デザイナーのリナ・金崎だった。


彼女は理人の確かな技術に人一倍惚れ込んでいるくせに、口を開けばいつも棘のある言葉が飛び出す。


「あんたの腕があれば、最高級のプラチナだって思いのままに操れるはず。なのに、どうしてそんな合金の塊を弄ってるわけ?」



理人は顔を上げず、指先で硬貨の縁をなぞった。


指先に触れた瞬間、コインが旅してきた遠い異国の街角や、誰かが大切に握りしめていた温かな記憶が、淡い残像となって脳裏をかすめる。


「リナ。価値があるかないかを決めるのは、市場の相場(マーケット)じゃない。……コインリングは、ジュエリーとは別物なんだ」


理人はコインの中央に慎重に穴を開け、バーナーで赤く熱しては冷水に落とし、金属を柔らかくする「なまし」を繰り返しながら、少しずつ槌で叩き広げていく。


「ジュエリーが、石や地金の輝きで『夢』を見せるものだとしたら、コインリングは『生きた証』を繋ぐものだ。

これはかつて誰かの財布にあり、誰かのパンを買い、世界を旅してきた。


その歴史を、俺は指輪という形にして、次の誰かに『適用』させているだけだ」

理人の言葉に、リナは一瞬だけ言葉を失う。

彼女は、理人のこの「金属への誠実さ」にこそ、抗いようもなく惹かれているのだ。


「……それ、6ペンスでしょ?」


リナは少し声を和らげ、理人の横顔を盗み見るように聞いた。


「ああ。マザーグースの古い歌にあるだろ。『靴の中に6ペンス銀貨を』という、幸せのまじないが」


理人は、リングの表面に浮き出たバラ、アザミ、シャクナゲ、シロツメクサの紋章——連合王国の四つの象徴——を傷つけぬよう、驚くほど繊細な力加減で仕上げの研磨に入った。


回転するバフにリングを当てると、くすんでいた白銅が、理人の魔法にかかったようにみるみる輝きを変えていく。


「この時代、もう銀貨じゃない。でも、人々の『幸せになりたい』という祈りまで安くなったわけじゃない。むしろ、銀ではないこの硬い白銅を、これほどまでに美しく磨き上げる。そこに、この小さな工房でしかできない仕事があると思っている」



最後に柔らかな布で丁寧に拭い、理人はそのリングをリナの前に差し出した。白銅とは思えない、プラチナにも負けない鈍く深い光を放っている。


「……これ、私に?」


「騒がしい客への耳栓代わりだ。左の靴に入れる代わりに、指にはめておけ。幸せのまじないだ」


「なっ……! ちょっと、それってどういう意味よ!? プロ・・・!? そ、それともただの試供品!?」


顔を真っ赤にして詰め寄るリナをよそに、理人はすでに次の作業のために眼鏡をかけ直していた。


その無頓着な優しさが、リナの心の一番深いところを、静かに、けれど確実に射抜いていく。


しかし、その幸福な時間を切り裂くように、工房の入り口のセンサーがけたたましく鳴り響いた。重厚な革靴の音が、理人の聖域へと踏み込んでくる。


「……久しぶりだね、伊織理人くん。相変わらず、ゴミを磨くのが趣味のようだ」


冷淡な声が、工房の温度を数度下げた。 理人の肩が、一瞬だけ硬く強張った。


ーー 伊織理人のもとに不穏な影(?)ーーー 次回の更新をお楽しみに✨

 
 
 

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